マイクをどかしてください!
十月八日の工房まつりは朝から吹いていた風も少しずつ収まり、遠くに南アルプス仙丈ヶ岳を望む絶好のイベント日和となった。
八ヶ岳泉龍太鼓の演奏は御柱の木遣り唄がはいるものだった。久しぶりに聞く、マイクを使わない生の歌声である。透き通るような唄声はマイクなしでも太鼓の音に負けない。遠く山々にもこだますると思われるほどの声量だ。七年に一度諏訪湖のほとりを熱狂させる御柱祭はテレビでも放映されるのでご存知の方も多いと思う。山から切り出した大木を里の神社まで大勢で引きずり出して運ぶ、単純だがいいおとなが子供のように夢中になる。見ているほうは面白いが当人達はいたってまじめでしかも命がけである。毎回死人けが人が出ることでも有名だ。泉龍太鼓はこの御柱祭の地元のグループである。木遣りの唄はこの祭りになくてはならない存在で何十人何百人の引き手を鼓舞するように、音頭取りである唄い手は大木の上に駈け上り、御幣を片手に両の手を大きく開いて唄う。民謡のほとんどがマイクを使って唄うようになる中で、この木遣り唄にはマイクが似合わない。それはマイクを持つ両の手が空いていないということもあるが、鼻唄のような歌い方では引き手を鼓舞出来ないのである。生で、しかも遠くの人、多くの引き手達に声を届かせるため、とんでもない高い声と声量が求められる。その気迫がこの大木を引く力となり御神木を動かしてゆく。
民謡歌手がテレビにあまり出なくなって久しい。一五年程前には普通の人でも二〜三人は民謡歌手の名前を言えたはずなのだが、今は思い浮かぶ歌手の名はなかなか出てこない。時代が変われば歌詩も生活実感からかけはなれ、普通に民謡をうたっていたのでは流行の歌謡曲にかなうはずもない、伝統民謡の魅力は、祭の場あるいは労働の場で聞き手を鼓舞し魅了する。魂の奥底からしぼり出す発声と気迫にある。かつてテレビに出ていた民謡歌手がマイクを口にあたるほど近づけ鼻歌のように唄い出した時、民謡ブームの衰退は見えていた。民謡の優れた武器を自ら捨ててしまったのである。
さて、和太鼓の世界である。
私が最初に太鼓マイクに出会ったのは日本で初の太鼓団体コンテスト、国民文化祭岩手。陸前高田である。かつて主宰していた『むげん隗』は全国数チームとともに、最高賞を獲得した。そのリハーサルでのことだった。マイクのセッティングが行われ、一台一台の太鼓にマイク位置のテープがされてゆく。しかし、私たちの曲は太鼓の周りを動いて演奏するので、なかなかマイクを置く位置が決まらない、もう、限られた時間で、マイクのセッティングより、太鼓演奏のリハをしたいのである。「マイクを全部どかして下さい。」音響担当者との緊張した瞬間が生まれた。渋々彼らはマイクを太鼓からはなした。広い屋外舞台でならともかくホールでの事なのだ。
あるサービス業の会社社長が社員に聞いた。「もっとも優れたコミュニケーションの手段は何だ?」社員は携帯電話か、いやインターネットもあるし、やっぱりメールでしょうなんて言っていたら社長が一括!「バカモノ!!その人と向かい合って直接話す事だろ!!」そうだよなーお客さんが目の前にいるのにメールやパソコンでやりとりしているなんて現実に起こりそうだよー。なんか変だよなー。実は太鼓とマイクの関係ってこれとよく似たところがあるのです。
より多くの人により遠くまで演じ手の表現を届けるために音響設備は生まれ発展してきた。近年の音響技術の変化はめざましく、実は生の演奏よりも上手に見せることも、又他の楽器との音量バランスも自在にコントロールできるまでになってきている。下手な演奏でも上手く作ってしまうことさえ出来るのだ。すると、いかに自分の表現をお客さんに届けるかという基本を忘れ、音響に従属し、音響頼みの演奏となってゆく。そして本来必要な技術の習得がおろそかになり、又、かんじんの観客との生の共感が薄れてしまう結果を招く。そして十人くらいのせまい部屋で演奏するときも、マイクがなくては歌えない歌手が生まれてしまう。
太鼓はもともと屋外楽器として活用されてきた。神社の境内で村中に届く音。屋台を引く何百人の人たちを鼓舞する音。盆踊りは生の歌とともに、集まった人たちの踊りをリードする。楽器はそれぞれどんな場所どんな環境の中で使われてきたかによって楽器の特性とその奏法が作られてきた。和太鼓はまさしく、より遠くに届かせるための機能を備えた世界で最も優れた打楽器なのである。少なくとも数百人規模でのホールでマイクを多用して演奏することになるのなら和太鼓でなくともいいし、それを演奏する技術、奏法も変化せざるを得ない。目の前にお客さんがいるのにメールで会話しているようなコミニュケーション力衰退の人間が多くなってしまうのと同じく、マイク多用によって和太鼓本来の持っている魅力と演奏技術の衰退を招き、いずれ観客から見放されてしまう事になりかねない。
和太鼓はただ大きな音さえ出せばいいわけではない。美しい音色、リズムの切れとノリなどの要素も同時に兼ね備えていなければならない。しかし、遠くに届かせる音は和太鼓が持っている重要な武器なのである。マイクの多用は邦楽器や洋楽器との共演によってより推進される傾向にある。当然他のジャンルとのセッションは、楽しいし勉強にもなるのだが、そのことによって、和太鼓がもっている重要な武器を捨てることになるとしたら。民謡の唄が衰退していったのと同じ道をたどることになってしまうだろう。
2006-11-01
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